2020.8.29

season

 

 

8月の終わり

 

 

雨が降ったり、止んだり、太陽が照ったり 

 

 

ことしの稲も刈られて、空に入道雲と秋の気配がすこし

 

 

昨日のほぼ日でイトイさんが紹介されていた太宰治の短い小説をKindeleで読む

 

 

彼は昔の彼ならず

 

 

太宰さんの文章の世界 やっぱりすげー

 

ひととひとは合わせ鏡で、その人に自分を投影してみているところってあるんだろうな、

 

感情や判断 

 

個人の性質は何がそのひとの中で大きく締めて、統べているか、そのバランスによってきまるだけで、

 

それぞれ自分たちの中にみんなあって、それをもってして

 

ほんとに自分の中にないことは理解できないことと感じるんだろうし、想像もできないのかもしれない

 

若き25歳の太宰の世界に入れてもらって、そんなことを思った

 

 

それは視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚など 人間の知覚の基本性能はある程度平均化されて共有されていることに等しく

 

ただ人間の性質はただその足し算引き算じゃなくて

 

組み合わせは化学反応のように別の性質をつくるところがおもしろいところでやっかいだとも

 

 

 

 

 

40歳になってなんだかずっと引っかかっていることがあって

 

それを焦燥感というのか喪失感というのかわからなくて

 

ふと思った

 

 

今まで生活の中で季節の真ん中すぎに つぎの季節の気配を感じながら生きてきた

 

たぶんひとよりもすこし敏感に

 

センチメンタルなことを書いてしまうけど、40になってはやくも終わりの気配を感じているのかもしれない

 

人生は挑戦、なんて言って歩いてきたけれど、40になってある意味人が生きることはあきらめることもあるなんてこともわかってきた

 

もちろんそれが選択で道なんだとも

 

それを結果的にじんせいというのかもしれない

 

生まれもっての持病もあってけっこう若いころから人間いつ死んでもおかしくないしみんな死ぬんだなんて達観めいたことをのたまってきたけれど、終わりに刹那の儚さをかんじてやっぱり悲しくなる

 

まだまだだなと思う

 

 

いまある生に感謝しつつ

 

 

 

38歳でなくなった太宰の年齢をこえて、

 

40になって思うこと 

 

 

 

こう書くと、遺書みたいだ

 

 

もしかしたら記録がないだけで毎日が遺書なのかもしれない

 

 

せめて毎日が誕生だとも思いたい

 

 

いろんなひとの気持ちのなかでいかしてもらって、歩かせてもらっている道

 

 

いけるところまでいきたい

 

sparkさせたい

 

 

 

 ひととひとは影響しあっていきている

 

太宰さんとも 時間をこえて

 

 

 できないなりにも ひとの気持ちを大切にできる人間になりたい

 

 

つくっていきたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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