2017.9.14

本日記

少し前にBLOGで、入荷と消化とのバランスが追い付かず、事務所にある読みたい本がたまってきてしまった、と書きましたが、
積読本はたからの山でした!
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建築の多様性と対立性   ロバートヴェンチューリ  (1982年 訳 出版)
今の自分にとって、(名著をなにをいまさら、という感じですが、数年前の自分だったらこのありがたさはわからなかったかもしれない.)とても共感する部分が多く、聖書ともいえる一冊に出会いました.
ミースのように純化してピュアな形態をこしらえるのではなく、
複数の事柄、事象、物を並列、ある時はぶつけて共存、共鳴させる手法について.
しかし、それは適当な偶然性に頼るのではなく、きちんと折り合いをつけて、整えること.(折り合いをつける調停役の要素も共存させること.)
ズラスときは、配慮、思考のの先にズラしている.
たくさんの事例・写真を参照してあり、とても興味深く.
かの有名な著者ヴェンチューリの母の家の煙突も、コルビュジエのサヴォアの列柱もずれていることが見える.
いかに今までなんとなくしか見れていなかったことがわかると同時に解像度が明るくなる.
室伏次郎さんの著書からこちらにとんできて、良いご縁だった.
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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか    内山節  (2007年)
写真家の中里和人さんにお薦めしていただいた哲学家の著書.
こちらも感銘が多く.
現代は知性だけですくえるもの、見えるを感覚化し、過去は乗り越えるべき歴史として直線的に捉えてきた.
でも、見えない感覚はたしかにあるし、歴史や記憶はそれらも含めた積層のことである.
ぼくが最近感じ考えていた、時間や生死、または万象の一体性とすごくリンクしていました.
僕が住む集落の村行事や日本のお彼岸なども、先祖、土地、風土や時間、ひいては生死の巡りと、つながっていくことだと思います.

『人間は客観的世界の中で生きているのではない。とらえられた世界のなかで生きているのである。』
『自覚された知性に映し出された記憶だけが、私たちが記憶として知っているものである。その結果次のようなことがおこる。もしも私たちに何らかの変化を生じ、自覚された知性の内容が変化すると、映しだされる記憶も変わる。』
という言葉のあたりなど、全く関係ないようなこの二冊も僕の中ではどこかではつながっていました.
ものごとは個であるようで全体である.ということ.
少し前に読んだ本
  




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断面から建築を考えることが 図ですっと入ってくる本.
世界の名建築の断面のパターンをいくつかに分類し、読解を進めていける内容.
ソーク研究所の設備スペース、代々木競技場、こんなになってたのか!とか単純におもしろく.
何より、断面からは空間を想像できます.
どの本も繰り返しめくっていきたい.
良縁に感謝です.

本でも人でもご縁とか巡り合わせがあると思っています.

今月は漫画の刊行も待っていたのが多くて、、、楽しみです。。。。