2015.4.13

20150412旭川OPENHOUSE

 
五十嵐淳さんにお誘いいただき、旭川の住宅 OPENHOUSEへお邪魔させて頂きました.
 
20150412
 
世間では不吉な地震予知が騒動になっている中、早朝6時、津なぎさまちからセントレアまでの船に乗る.
 
 
松阪市から旭川市まで日帰り弾丸出張へ.
 
 
 
 
 
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この日北海道はまだ摂氏5度.駅を出た時、三重ではもう懐かしくなった冷気を感じました.
 
 
 
 
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北海道の区画整理された整った町並みの角地、他の建物より小さなボリュームの集まりという印象.
 
手を伸ばせば屋根に触れる距離感.
 
内部が半地下になっているので、外に出てくるボリュームが人間感覚と近くなり、心地よさを生んでいます.
内部は床面が空間ごとに200mmずつ低くなっていって、いちばん低いところでは-800mm.
 
外に佇んだときの外部がつくる内部的な中庭と、内部を経験しているときの内部から見た中庭との距離感の不思議なズレに、建築の力を知りました.
(居室が地面に掘りこまれているので、結果外から知覚する外壁面はヒューマンスケールになり外に対して威圧的に閉じすぎない、内部と外部が混ざった場所が生まれています.室内側からの体験としても、経験している場所が外の地面に掘りこまれた形になっていることで、中庭をつくる周囲の外壁が低くても、外に対してさらけ出された感じがなく、守られている心地よい場所が生まれていて、かつ目線が地面に近いので、より外との融和性を感じます)
 
内部空間は、氏の代表的な素材の構成、コンクリート、白、針葉樹でまとめられています.
 
素材で場所をつくるのではなく、場所で居場所(今後の居場所の可能性も)ができているという印象の空間でした.
 
 
五十嵐さんにお話しを伺うと
 
「建築を素材でどうこうしようとは思っていない」
 
との事.
 
このお話を聞いて、先日写真家の中里和人さんがレクチャーの際、
 
「その時その時の自分の興味に向き合い写真の対象(黒潮、小屋、夜・・・)をしぼる事で捉えれるものがある」
 
とおっしゃっていた事を思い出しました.
 
 
約半日、心を落ち着かせ、実際ここで生きているつもりで空間に身を置きました.
 
各壁面の角度が振っているので、時間の日の動き、外壁からのレフ効果、各ボリュームの違いが合わさって、光が複合的に空間の状態を変化させていきます.
 
この空間を経験して建築の体験には、例えば絵画や映像のような、ファーストインパクト的な視覚情報の大きさに支配されることなく、そこに佇み、空間に自分の体を沈ませて融和させてから見えてくる存在があるということを改めて実感しました.
 
それぞれの角度が振られ、繋がりつつも、高さ、気積が異なったボリュームの連続の内部にいると、高さ方向とは対照的に、人の感覚に近い平面のスケール感とあいまって、頭の中で処理できない複雑な平面プランによる認識の抽象性がおこり、連続した空間自体が身体の延長であり、空間自体が自分の内部の世界でもあるような不思議な反転の感覚を感じます.
 
ふと、イームズの有名な動画、powers of ten で男女がくつろぐ公園の芝生の面から10倍、10倍、10倍と高い視点で世界を見ていくとやがては星の集まりの視点まで到達し、逆に男女の内部へと-10倍、-10倍と入っていくとDNAレベルの風景になり、それは驚く事に星の集まりの光景ととても似ている、
 
という動画を思い出しました.
 
そして自分がいま感じているこの感覚を、ここに住まう人たちも持ち、住人たちの共有の感覚になったらと想像すると、建築が場所をつくりつつも、建築・反転に内包された人同士の集合思念のような融和も存在することになって行くのではと思うような、不思議な建築の体験でした.
 
建築の自立性(必ずしも人と、コンテクストに依存しない存在性)と、知覚する人の融和性、そのどちらもあわせ持つ建築の存在を体験しました.
 
 
 
 
 
22時45分津市に到着.無事往復から帰宅.
 
日帰り北海道、行けるものなんだと妙な達成感・・・.
 
地震もなかったようで良かったです。。。
 
 
 
 
 
 
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