2018.3.7

20180304-06

2018 0304  -  0306

イメージ 1
イメージ 2


船と飛行機を乗り継ぎ、友人の絵本作家 浦中こういちさんのチャリティーライブのアシスタントとして宮城県、福島県の7つの幼稚園、保育園、児童館に同行させてもらってきました。

初日、浦中さんと合流するのは夜の約束だったので、以前、院生時代に事務所にアルバイトに来てくれていた仙台出身、現在は帰郷して設計事務所に勤務している阿部君が一日案内してくれました。



イメージ 3



イメージ 34





イメージ 35









2-3日目.

チャリティーライブへ.

イメージ 4


イメージ 5


イメージ 6





イメージ 7


イメージ 8


イメージ 9


イメージ 10


イメージ 11


イメージ 12



イメージ 13





イメージ 14





イメージ 15



イメージ 16




イメージ 17





イメージ 18


イメージ 19





イメージ 24

イメージ 25

イメージ 26
その後、被災された地域を先生にご案内いただく。

沿岸地域、僕が仕事をしている風土に重なる。


園児と避難したこと。

運転しながら当時のことをお話くださる。



最終日の午後。


浦中さんと福島県を走る。


イメージ 28


イメージ 20d=”14516467342″ data-image-order=”26″ data-amb-layout=”fill-width”>


イメージ 21


イメージ 29


イメージ 22


イメージ 23


イメージ 27


イメージ 30


イメージ 31


福島第一原発まで数キロ。
イメージ 32


双葉町の各家の入口には、バリケードと、街に入る道路には立ち入り禁止区域を封鎖する警備員。
地震、津波、原発。

目をそらしちゃいけないと思った。


給食室では線量を測定し、安全を確認して調理していた。

収穫した野菜は検査して安全な数値であることを確認して出荷していること。

いまも解決できていないことばかり。

知らなかったこと、もしかしたら見ないようにしていたのかもしれない、と自分の薄情さに悲しくなった。


経験させていただいたことを自身だけにとどめず、自分が活動する地域、仕事において活かしていきます。

防災、減災。

エネルギッシュな先生が、『地震や津波だけが怖いんじゃなくて、何事においても日ごろの意識だと思う。でも臆病になりながら生活していくんじゃない。』

とおっしゃっていた言葉が心に残る。
コンクリート造の小学校が破壊された惨状を見て、正直、津波に対しては建物に過信してはいけないと思った。



毎年、このような活動をされている先輩がこんなにも近くにいたことを誇りに感じ、頭が下がります。


ありがとうございました。

子供たちの笑顔は一生忘れません。

一緒に給食食べてくれてありがとう!

イメージ 33


イメージ 36


一級建築士事務所ヨネダ設計舎   米田雅樹