2022.12.15

日本の建築空間 その1



高蔵寺阿弥陀堂。


たまたま実家から車で15分ぐらいのところにあり、帰省するたびに整地巡りというか、ある意味確認作業というか、そんな気分で拝観へ向かうのである。



この建物はシークエンスがよい。



シークエンスとは、「順序」、「連続」と訳せますが、ぼくらからすると「ある目的地へ至るまでに見えてくる空間体験」という意味で使うことが多いのです。
(皆さんよくご存じの伊勢神宮も、鳥居をくぐるごとに様相が変わる様が、まさにシークエンスの建築だと思うですが、その話しはまた別の機会に…)




高蔵寺のシークエンスは、参拝者が直線状に伸びる経路を進み、その先に阿弥陀堂と対峙するという体験なのだけど、門へ立ち入ったときには、全くその姿が見えない。




少しずつ進むと木々の枝(葉っぱ)の間から、正面の扉と草ぶき屋根の一部が見えてくるのだけど、不揃いの石畳に気を取られ、まだ参拝者は建物に気付かない。





橋を渡る手前、このあたりへ来て、ようやく建物があると認識できた時には、2本の太い木々の間から、大らかな屋根が参拝者をお出迎えしているように見える。





そして、石段を登った先には、ものすごい迫力の佇まいに圧倒されるのだ。





この建築、何がすごいかって屋根がすごいのです。


屋根のかたちを、斜めの角度で見ると…


隅棟(寄棟屋根が折れ曲がる角の部分)が参道正面側へ結構張り出しているのです。

(本当はもっとわかりやすい木々の隙間からの写真があるはずなのですが、データがどこかへ飛んでいってしまいました…)


この屋根は「石段を登り切った参拝者に最大の迫力が感じられるように意図されたデザイン」だと言えるのです。


あぁ、ありがたや…







お寺の境内にはもう一つの建物が。

個人的に一番好きな民家建築、「佐藤家住宅」。


間取りは、なんてことない広間型3間取りの建物。


だけどこれ、無目(ムメ)に注目してみると面白いのです。

無目とは梁材の一種で、障子や襖が取り付くためのしゃくりが無いものを指します。

この無目の取り付く高さが絶妙なのです。




土間側から見ると…奥に見える土壁と襖まで。土座の空間と床座(床が立ち上がっている)の空間とが連続的で一体に見えますよね?




だけど床座から土間を見ると…あれ?

ちょうど頭がぶつかるぐらいの位置に邪魔をするかのように無目があるのです。


そもそもどちらから見るかによって、違った見え方になるのって不思議ですよね。




壁ではなく、単なる木組みが、こっちの世界とあっちの世界の領域をつくる…。


そう思うと柱・梁、それら一本がどの位置、どの高さにあるとよいか、というところを考えるわけです。




我々ヨネダ設計社は、そういう解像度で設計業務に取り組んでいるのです。




そろそろ年末休みが近づいてきたから…


また聖地巡りでもしに行こうかな。





スタッフ 阿部