2023.4.20

石の境界






つい先日、慈照寺東求堂へ足を運ぶ。
(内部は撮影NGのため、外部からの写真のみとなりますが、ご容赦ください)




同仁斎と名付けられた四畳半の部屋。

そこに足利義政が着座して書き物をしたそうだ。



障子戸の見付は無骨と繊細とが入り混じる。

戸厚が薄すぎて、素人目にしても反っていたけど、「そんなのお構いなし」というところが潔くて良い。









境内を散策してみると、「石の境界」がたくさんあるのに気付いた。


ある時はあいまいに、またある時はごろごろと迫力のある力強さで。









砂も「石の小さなもの」と考えれば、境界の表現はもっと多様なんだと思えてきたり。









出隅部に大きな石が置かれると、石に包まれた内部と外部とがより強調されている。









これは境界をつくると同時に、人間を誘導するようにも見て取れる。












そういえば、このまえ古本屋でこんな本を見つけたのだった。




文/栗田 勇 写真/岩宮 武二、石の寺、1965年、株式会社 淡交社



まだ半分ぐらいしか読み進めてないけれど、色々な石の境界がある。




これには「銀閣寺」も載っていた。








日本建築は、柱・梁といった木組み。あるいは、外壁、屋根、建具などで境界を造っているようだけど、

そこに至る手前(もしくは建物の外周部)には石の境界が見て取れるものもある。





伊勢神宮も然り。









ふと視線を落とせば、皆さんの身近なところにも様々な境界があることに、気付くかもしれない。








スタッフ 阿部